「ゼカ・パゴヂーニョ
〜 サンバの風雲児」

ゼカ・パゴヂーニョはリオの下町そのもの。いかにもイタズラっぽい、狡猾な感じのする歌い方こそまさに"伝統のマランドロ"の証といえる。観光地でないリオのいたるところで流れるのがゼカのサンバだ。

ゼカは1959年リオ郊外イラジャで生まれる。若い頃からリオのあちこちのパゴーヂ(サンバ・セッション)に飛び入りで参加するうちに70年代後半、パゴーヂの聖地"カシーキ・ヂ・ハーモス"(もとはカーニバル・グループの名称)にたどり着く。

カシーキでは、ゼカのアドリブで歌いながらサンバを"引っ張る"才能はすぐさま周囲に受け入れられる。こうしてゼカはカシーキの面々であるグルーポ・フンド・ヂ・キンタル(フンドのメンバーの一人、アルリンド・クルスはゼカの初期の作曲パートナーとなる)やベッチ・カルヴァーリョらとともに延々とセッションを続けながら、自分のスタイルを磨いていった。

83年、ベッチ・カルヴァーリョのアルバム「Suor no Rosto」でのベッチとデュエットで録音デビュー。85年に参加したオムニバス・サンバ盤「Raca Brasileira」(ジョヴェリーナ、他)がヒット、翌年にソロ・アルバム「Zeca Pagodinho」をリリースする。これが一作目にもかかわらず驚異の80万枚セールスを記録し、パゴーヂの名盤と化している。

ゼカの人気は徐々にリオからブラジル全国へと広まっていく。最初の全国ヒットとされるのが「Verdade」(『Deixa Clarear』96収録)、翌年のアルバム『Hoje e Dia de Festa』からも「O Dono da Dor」,「Faixa Amarela」などが大ヒットし、ゼカの歌は全国ラジオの定番となる。

人気の絶頂で自分のルーツを振り返るのがやはりサンビスタの流儀とされる。98年のアルバム『Zeca Pagodinho』では自ら所属するVelha Guarda da Portela(サンバチーム・ポルテーラのベテラン・サンビスタ陣)をスタジオに招き曲「Vai Vadiar」を録音した。

2000年にはアルバム『Agua da Minha Sede』、2002年には『Deixa a Vida Me Levar』などがいずれも50万枚セールスを突破。アルバムタイトル曲「 Deixa a Vida Me Levar Deixa a Vida Me Levar Deixa a Vida Me Levar 」は日韓W杯開催中、ブラジル代表選手が合宿所で最も好んで聴いたBGMとしても知られている。

2003年終わりにはこれまでの数々のヒットを歌ったライブ盤「Acustico MTV」が大ヒットする。このライブはDVDでもリリースされており、パゴーヂファンにはお薦めの一品だ。

ブラジル人の日常を面白おかしく歌うゼカのサンバはいまや若い世代の間でもロックを凌ぐ人気があると言われている。

♪代表曲
NEGA MANHOSA NEGA MANHOSA NEGA MANHOSA
DEIXA A VIDA ME LEVAR DEIXA A VIDA ME LEVAR DEIXA A VIDA ME LEVAR
MUTIRAO DE AMOR MUTIRAO DE AMOR MUTIRAO DE AMOR
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