「アントニオ・カルロス・ジョビン
〜 世界のBGMを創造したマエストロ」
ボサノヴァの数々の名曲をはじめ、不滅のレパートリーを世に送り出したアントニオ・カルロス・ジョビン。最も成功したブラジリアン・コンポーザーの一人として、世界中の人々の幸せなひとときを永遠に演出し続ける。
50年代に開花したリオデジャネイロ文化は世界のあらゆる芸術ジャンルに影響を及ぼしたとされる。古き良きリオが輩出した音楽才能の頂点がジョビンである。
1927年リオ生まれ。14歳の頃よりクラシック・ピアノを習う。22歳で結婚し、建築家を目指すものの音楽の道をあきらめきれず、ラジオ局やナイトクラブでピアニストとして演奏しながらクラシック音楽やグレン・ミラーなどのビッグ・バンドのアレンジを熱心に研究する。
52年にレコード会社 Continentalと契約、徐々に評価を得ていく。53年に最初の作曲である「Incerteza」の初録音が行われ、さらにその翌年にはビリー・ブランコとの共作「Tereza da Praia」が当時の二大男性歌手ルシオ・アルベスとディック・ファルネイがデュエットで演じ人気を博す。同年に初のオーケストラ・アルバム『Sinfonia do Rio de Janeiro(リオ・デ・ジャネイロ交響曲)』をリリースする。
56年に詩人ヴィニシウス・ヂ・モラエスと出会い、のちに『黒いオルフェ』(59)として映画化されることとなるヴィニシウスの劇作『Orfeu da Conceicao』のための曲を手がける。同名のアルバムでは「Se Todos Fossem Iguais a Voce」や「Lamento do Morro」などが反響を呼び、これを機にMPB史上最高のコンビとなった二人は、次々と珠玉の名曲を生み出していく。
57年、ジョアン・ジルベルトとの運命的な出会いを果たす。ジョビンがジョアンの「故郷ジュアゼイロのおばさんたちが服を濯ぐリズム」に魅了されたことは現代ポピュラー音楽史で語られる逸話となっている。
ジョビンとジョアンとヴィニシウスの三人は58年のエリゼッチ・カルドーゾの名盤『Cancao do Amor de Mais』に参加したのち、ジョアン・ジルベルトの1stアルバム『Chega de Saudade(想いあふれて)』(59)を制作。タイトル曲の反響はもちろん、ここに収録された「DesafinadoDesafinadoDesafinado」の歌詞で初めて"ボサノヴァ"という言葉が現われ、音楽ムーブメントとしての存在をアピールした。
以降60年代半ばまで、ジョビンは、「Samba de Uma Nota So」、「So em Teus Bracos」、「MeditacaoMeditacao
Meditacao」、「Corcovado
Corcovado
Corcovado」、「O Amor Em Paz
O Amor Em Paz
O Amor Em Paz」、「Insensatez」、「Este Teu Olhar」、「Garota de IpanemaGarota de Ipanema
Garota de Ipanema」、「So Danco Samba
So Danco Samba
So Danco Samba」、「O Grande Amor」、「Vivo Sonhando
Vivo Sonhando
Vivo Sonhando」、「Agua de Beber
Agua de Beber
Agua de Beber」、「Samba do Aviao
Samba do Aviao
Samba do Aviao」といったボサノヴァの傑作を怒濤のごとく創出、それらは主にジョアン・ジルベルトに提供された。
62年になると、アメリカのジャズ・サックス奏者スタン・ゲッツがアルバム『Jazz Samba』で「Desafinado
Desafinado
Desafinado」を演奏したことで、アメリカでもボサノヴァ・ブームが巻き起こる。ジョビンも渡米し、今では伝説となったカーネギー・ホールのコンサートを皮切りに、毎年のようにコンサートやアルバム録音を行い、なかでもフランク・シナトラとの共同アルバム『フラシス・アルバート・シナトラwithアントニオ・カルロス・ジョビン』(67)は米ポピュラー音楽史に残る名作とされる。
ジョビンは60年代後半も、「So Tinha de Ser com Voce」、「Inutil Paisagem」、「Surfboard」、「Bonita」、「Wave
Wave
Wave」、「Triste
Triste
Triste」などの名曲を出していく。67年には若き才能シコ・ブアルキと共同で曲作りをはじめ、ジョビンはいわゆるポスト・ボサノヴァ期に突入する。二人の名曲には「Retrato em Preto Branco」、「Sabia」、「Olha Maria」、そして晩年の秀作「Anos Dourados
Anos Dourados
Anos Dourados」などがある。
70年代以降はジョビンはブラジルの美しい自然と伝統文化を映した曲を作っていく。この時期に「Chovendo na Roseira」、「Ligia
Ligia
Ligia」、「Voce Vai Ver」、「Luiza
Luiza
Luiza」、「Passarim」、「Gabriela」などの名曲が生まれ、なかでもエリス・ヘジーナとの共演でも有名な「Agua de MarcoAgua de MarcoAgua de Marco」は当時最も美しい曲として世界中の評論家から絶賛された。
ジョビンは86年に一度来日している。ラスト・アルバムは94年の『Antonio Brasileiro』。ここでも曲「Querida」や「Piano na Mangueira」などの名曲を残してくれている。そして同年にこの世を去った。
その後もライブ音源や未発表曲は発表されている。長年に渡り彼のバックバンドを務めた長男のパウロや、チェロ奏者のジャキス・モレレンバウムとその妻でありボーカリストのパウラ・モレレンバウム、さらにトムの孫でピアニストのダニエルなどは優れたミュージシャンとして、世界各地で大きな評価を得ており、ジョビンの音楽遺産の継承者として活動を続けている。
♪代表曲
♪代表曲
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