「ピシンギーニャ
〜ブラジル音楽の父」
世界各国の音楽は20世紀前半に蓄音機とラジオが出現したことで体系化されたといわれるが、ブラジル音楽は同時期にピシンギーニャという偉大な天才が存在したおかげで今日のような極めて豊かな発展を遂げることができたといわれている。
フルート、サックス奏者、作曲家、指揮者、そして名編曲者であったピシンギーニャは、1897年リオ・デ・ジャネイロに生まれた。アフリカ人奴隷としてブラジルに連れて来られた祖父母を持つが、その頃には比較的裕福な家庭であったといわれる。父も素人ではあるがフルートをたしなみ、毎週自宅で演奏会を開いていた。そこにはブラジルを代表するクラシック作曲家、エイトル・ヴィラ‐ロボスも訪れたという。
20世紀初頭、ブラジルの音楽はヨーロッパ移民がもたらしたワルツやポルカといったダンス音楽とこれらにアフリカ系音楽が加って生まれたショーロ、ルンドゥやマシシなどが主流だった。ヨーロッパ、アフリカ双方のスタイルの音楽を自宅で生で聴きながら育ったピシンギーニャは11歳でカヴァキーニョを覚え、14歳でプロのフルート奏者になる。様々なバンドに参加しながら多くのショーロ曲を作るようになったのもこの頃である。20歳の時には、「Sofres Porque Queres」、「Rosa」、「LamentosLamentos
Lamentos」、そして彼の最も有名な曲である「Carinhoso
Carinhoso
Carinhoso」などをすでに作曲していたといわれる。
21歳になると、当時流行していた無声映画の劇場ホールバンド、オス・オイト・バトゥータスを仲間を率いて結成。バンドはたちまちリオで話題を集め、ピシンギーニャは黒人として初めて大きな脚光を浴びるミュージシャンとなった。1922年、バンドはフランスのキャバレーで半年間の公演を行う。それはピシンギーニャにとって、ジャズをはじめとする様々な異国文化に初めて触れる機会となった。
ブラジルに戻り、レコード会社RCAビクター(現BMG)とオーケストラ編曲者として契約。カルメン・ミランダ、ノエル・ホーザ、イズマイル・シルバ、ジョアン・ヂ・バーホ、ラマルチーネ・バボ、アリ・バホーゾ、オルランド・シルバ等、ブラジル音楽創世期のスター達の楽曲アレンジを次々と手掛けていく。なかでも37年にオルランド・シルヴァが歌った「Carinhoso」と「Rosa」は歴史的大ヒットを収め、近年もマリーザ・モンチら多くのアーティストに歌い継がれる名曲となっている。
当時、ピシンギーニャと仕事を共にしたどのスターも口を揃えてピシンギーニャのアレンジでなければブラジルらしさが出ないと言ったという。このことこそがピシンギーニャが「ブラジル音楽の父」 と言われる所以である。
1940年にはクラシック界の名指揮者であるレオポルド・ストコフキーがリオで収録した『Native Brazillian Music』に自身のバンドを率いて参加(アメリカでリリース)。その後、46年にサックスに転向し、フルート奏者のベネジット・ラセルダとコンビを組むと、「Um a Zero
Um a Zero
Um a Zero」、「Ainda Me Recordo」、「Ingenuo」、「Urubata」、「Proezas do Solon」といったショーロ・クラシックを録音していった。
50年代に入るとLPレコーディングが可能となり、ピシンギーニャは58歳にして初のアルバム『Velha Guarda』(55)を録音。以降、精力的に多くの名盤の制作に取り掛かっていく。60年代のボサノヴァ・ブーム時には、詩人ヴィニシウス・ヂ・モラエスが歌詞をつけた「Lamentos」などが映画『Sol Sobre a Lama』(62)のサントラに使われた。
そして、60年代も後半になると、ピシンギーニャは度重なる心臓発作に見舞われるようになるが、73年に逝去するまで精力的に音楽活動を行っていたという。今日、ピシンギーニャの音楽遺産はブラジルの音楽大学で研究され、ショラォン(ショーロ奏者)たちはもちろん、サンビスタやクラシック、ジャズのミュージシャンにとっても永遠のスタンダードとされている。生前、彼が通ったリオの中心街のバー、バール・ゴウヴェイアには今でも彼専用の机が残されているそうだ。
ピシンギーニャの死後、彼へのオマージュ・アルバムも数限りなくリリースされており、近年では現代のショーロ・スターたちを集めたピシンギーニャ生誕100周年記念アルバム『Pixinguinha - 100 anos』(97)や サックス奏者、パウロ・モウラの『Pixinguinha - Paulo Moura e Os Batutas』(98)などが特筆すべき作品となっている。また、最近DVD化されたフランス人ミュージシャン、ピエール・バルーが監督したブラジル音楽の魅力を探るドキュメンタリー映画『Saravah 「時空を超えた散歩、または出逢い」 ピエール・バルーとブラジル音楽1969〜2003〜』には晩年のピシンギーニャの映像が残っておりとても興味深い。(この作品ではピエールのこの仕事に協力していたバーデン・パウエルやピシンギーニャの幼なじみでパートナーであったジョアン・ダ・バイアーナ、パウリーニョ・ダ・ヴィオラやマリア・ベターニアらも見ることができる。)
ブラジル音楽の根幹を築き上げたピシンギーニャは、世界中の音楽ファンにとって欠くことのできない存在なのである。
♪代表曲
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LAMENTOSLAMENTOS
LAMENTOS
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CARINHOSO
CARINHOSO
CARINHOSO
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UM A ZERO
UM A ZERO
UM A ZERO
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