オ・ハッパ
オ・ハッパはブラジル・リオデジャネイロ出身のレゲエ/ロックバンドである。1993年にジャマイカ人レゲエアーティスト、パパ・ウィニーはブラジルに来たが、一緒に演奏するバンドがいなかったため、直ちに4人のメンバーが選ばれた。ネルソン・メイレーリス、マルセロ・ロバート、アレシャンドリ・メネーゼス、マルセロ・ユカである。パパ・ウィニーのショーが終わった後、4人は5人目のメンバーとしてボーカルのファルカォンを加えて、一緒に演奏を続けることを決めた。バンド名O Rappaは、露店商人を取り締まる警察の俗称であるrapaから取られ、区別するためにもう一つのpを加えられた。
オ・ハッパは、ルーツ、ダブ、レゲエ、ラップなどをミックスしたサウンドを作り出し、また社会的インパクトの強い歌詞と常に熱気にあふれるショーで知られている。用いるリズムを正確に定義することは難しく、当初はレゲエとロックとが中心に置かれていたが、やがてサンバ、ファンク、ヒップホップ、サンプラー、MPBなどの要素も取り入れていった。
1994年に彼らはワーナーから1stアルバム『O Rappa』をリリースしたが、大きなヒットにはならなかった。これはネルソン・メイレーリスが参加した唯一のアルバムであり、この後彼は個人的な理由によりバンドから脱退した。2ndアルバム『Rappa Mundi』(96)によって、このバンドはブラジルの音楽シーンに実質的に初めて登場し、ほとんど全曲がヒットとなった。最大のヒット曲の一つ「Pescador de Ilusoes」は最初『Rappa Mundi』に収録され、のちに再び『Acustico MTV』(05)において再演されている。もう一つのヒット曲「Me Deixa」も同じ経緯をたどっている。ジミー・ヘンドリックスのカバー「Hey Joe」もこのアルバムに収録されている。
沈黙の3年のあと、1999年に『Lado B Lado A』をリリース。以前より「強力な」歌詞によってバンドの成熟が示され、ユカが作詞家として高い能力を持っていることも明らかになった。2000年にはオ・ハッパは「聴衆の熱狂と大きな反発」を引き起こした。翌年のRock in Rioではいくつかのアメリカ人バンドの前に演奏順が置かれ、抗議したところ、退場させられることになった。その結果、ブラジルの5バンド(スカンキ、ハイムンドス、ジョタ・クエスチ、シダーヂ・ネグラ、チャーリー・ブラウンJr.)が抗議のためにこのフェスティバルから抜けた。
2001年、ユカは強盗事件に遭遇して銃弾を受け、ユカが担当していたドラムはロバートに、ロバートが担当していたキーボードはその弟マルコス・ロバートに引き継がれた。ユカはこの年の内に復帰し、アルバム『Instinto Coletivo』がリリースされたが、その後ユカはバンドがたどりつつあった新しい方向性に賛同しなかったために排除されたと訴えて脱退したが、バンドはこの事実を否定している。ユカはF.ur.t.o(Frente Urbana de Trabalho Organizados)という、同名の社会プロジェクトの一部を成すバンドを結成した。
2003年にはユカなしでの最初のアルバム『O Silencio q Precede o Esporro』をリリース。正式メンバーではないキーボード奏者、マルセロ・ロバートが主に作曲を担当し、「Reza Vela」、「Rodo Cotidiano」などのヒットを生み出している。カルロス・ポンボと共にはメッセージ性の強い歌詞を持った「O Salto」を作曲した。またリオデジャネイロのオリンポでライブ収録された同名のDVDもリリースされている。
2005年にはMTVブラジルの招きを受けて『Acustico MTV』を録音、DVDにもなったこのアルバムでは「O Que Sobroudo Ceu」「Rodo Cotidiano」でマリア・ヒタもゲスト参加している。
♪代表曲
♪
O SHOW
O SHOW
O SHOW
♪
ELA SO PENSA EM BEIJAR
ELA SO PENSA EM BEIJAR
ELA SO PENSA EM BEIJAR
♪
TATUAGEM
TATUAGEM
TATUAGEM
戻る