マルセロD2
marcelo d2

マルセロ・マルドナード・ゴメス・ペイショット、通称マルセロD2(マルセロ・デー・ドイス)は、リオデジャネイロ出身のラッパーであり、プラネット・ヘンプの元ヴォーカリスト。「D2」とはドラッグ使用者のあいだの用語で「マリファナを吸う」を意味する。

リオデジャネイロのサン・クリストーヴァンで生まれ、マリア・ダ・グラッサ、アンダライーで育ったマルセロD2は常にサンバ、ファンクやブラックミュージックを愛してきた。若い頃は屋台商や露店商だったが、すでに亡くなっている友人スカンキの薦めによってショービズ界に入った。彼の反抗的なリリックはスカンキの考え方を反映しているという。

友人スカンキを1994年6月にエイズで失ったことが、D2の人生とキャリアに大きな影響を与え、彼はHIVウィルスを所持する子供たちを支援するためのレーベルPositivoを創設した。プラネット・ヘンプの1stアルバム『Usuario』(95)は彼へのオマージュ作品となり、30万枚を売った。2ndアルバム『Os Caes Ladram mas a Caravana nao Para』ではさらに35万枚セールスを記録した。

1998年、1stアルバム『Eu Tiro E Onda』(リオの俗語で「おれは強い」「おれは何でもできる」という意味)をリリース。自宅のスタジオで録音され、ニューヨークとロサンゼルスでミックスされたこのアルバムは、革新的で、ブラック・エイリアン&スピード、ゼー・ゴンザレス、DJナッツ、Bネガォンといったリオとサンパウロのラップのビッグネームが名を連ねていたため、聴衆やサンパウロのラップムーブメントに好評を博した。

ソロとしての代表作にはBネガォン、スピード、ジャクソン、ブラック・エイリアン、DJホドリゲス、ファルカォンといったリオのラップのパイオニアたちによって組まれた「ヘンプ・ファミリー」が参加した「O Imperio Contra−Ataca」や彼を有名にした曲で、子供の頃のことについて歌い、MTVのショーでのライブでもたびたび歌われた「1967」、「A Maldicao do Samba」、「Qual E」、実の息子も参加した「Loadeando」などである。

早口でファニーなフロー、そして伝統的なサンバをラップと融合し人気を集めた。自身にとってのアイドルであるタイーヂとDJフンの「Assim Caminha A Humanidade」や、コメディー番組『Casseta & Planeta』のコメディアンたちによるサントラ『A Taca do Mundo E Nossa』にも参加した。子供たちからの尊敬も集め、ブラジルの最も偉大なラッパーの一人として知られている。

2003年にリリースされた2ndアルバム『A Procura da Batida Perfeita』は、サンパウロ芸術批評家協会による「年間ベストアルバム」に選ばれるなど、さまざまな賞を受賞した。

2005年、プラネット・ヘンプが解散を発表し、マルセロD2は完全にソロとしての活動を始める。翌年5月には3rdアルバム『Meu Samba E Assim』をリリース、批評家からも好意的に受け入れられたこのアルバムは、ラップとサンバの融合の方向性をさらに押し進め、アルシオーニゼカ・パゴヂーニョ、アルリンド・クルスなどのスペシャルゲストも迎えている。

♪代表曲
GUETO GUETO GUETO
MEU SAMBA E ASSIM MEU SAMBA E ASSIM MEU SAMBA E ASSIM
THAT'S WHAT I GOT THAT'S WHAT I GOT THAT'S WHAT I GOT

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