「レジアォン・ウルバナ
〜 ブラジリアン・ロック史にきらめくバンド」
ブラジルのポストパンク・ムーブメントを牽引したレジアォン・ウルバナ。80年代の若者たちの鬱積した気持ちを最も力強く、かつ叙情的に表現したバンドとして解散後も永く愛され続けている。
レジアォンはリーダー兼ボーカリストのヘナート・フッソ(1960年生まれ)、ギターのダド・ヴィラ・ロボス、ドラムのマルセロ・ボンファの3人で構成され、ヘナートの低くて怒りに満ちたボーカルと、若者の精神を見事に描写した歌詞が世間に衝撃を与えた。ヘナートは70年代後半、セックス・ピストルズを代表とするイギリスのパンクミュージックに影響され、ポストモダン都市ブラジリア(ブラジルの首都でもある)で自らのパンク・バンドを結成。これがブラジリア・ムーヴメントの創生であり、ここからカピタル・イニシアル、パララマス・ド・スセッソほか多数のロックバンドが派生する。
バンド解散後、ヘナートはさらにイギリスで台頭したジョイ・ジビジョン、ギャング・オブ・フォーやザ・スミスといったニューウェーブ系のサウンドに出会う。マンチェスターの若者たちの閉塞感とブラジルの絶不況社会を生きる若者の感性を見事にマッチさせ、83年に結成されたレジアォンはブラジル・ロックのなかではじめて理想でなく現実を歌うようになる。
1stアルバム『Legiao Urbana』(85)では「Sera
Sera
Sera
」、「Ainda E Cedo」や「Geracao Coca-Cola」などのパンク・テイストな曲が話題となる。そして2ndアルバム『Dois』(86)でアコースティック・ギターをフィーチャーし、よりポップなアレンジで「Daniel na Cova dos Leoes」、「Quase Sem Querer」、「Eduardo e Monica
Eduardo e Monica
Eduardo e Monica
」、「Tempo Perdido」や「Indios」といった強烈なヒットを生み出す。一部の評論家からはブラジル・ロック史上最高のアルバムと称され、200万枚近いセールスを記録(今もなお売れ続けている)。
瞬く間に独自の地位を確立したレジアォンはその後も数々のヒットをリリースし、殆どのアルバムが百万枚セールスに達している。なかでも曲「Que Pais E Este ?
Que Pais E Este ?
Que Pais E Este ?
」、「Faroeste Caboclo」、「Angra dos Reis」、「Pais e Filhos」、「Quando O Sol Bater na Janela do Teu Quarto」、「Monte Castelo」、「Meninos e Meninas」、「Giz」、「Antes das Seis」などはブラジル人の日常の深層を捉えた歌詞でありながらダンスフロアでも絶えず流れ、まさにヘナート・フッソが時代を象徴する声だったことを裏付ける。
90年代に入るとヘナート・フッソはたびたび体調不良を訴えはじめる。このときバイセクシャルの彼はエイズに冒されており、やがて96年に36歳でこの世を去る。彼の死の翌日、レジアォンは解散される。
レジアォンのライブ音源や未発表音源はその後もリリースされ続け、現役のバンドにひけをとらない人気を誇っている。2004年にはライブ盤『As Quatro Estacoes Ao Vivo』(90年にサンパウロで行われた10万人ビッグライブの音源)がリリースされたばかりで、2006年にはヘナートの死後10周年記念として未発表テイク集やCDボックス・セットさらにレジアォンをテーマにした映画が数本封切りされる予定である。
レジアォン・ウルバナはブラジリアン・ロックをヒモ解くために欠かせない伝説のバンドなのである。
♪代表曲
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QUE PAIS E ESTE
QUE PAIS E ESTE
QUE PAIS E ESTE
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EDUARDO E MONICA
EDUARDO E MONICA
EDUARDO E MONICA
♪
SERA
SERA
SERA
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