ジョアン・ジルベルト
ジョアン・ジルベルト・ド・プラード・ペレイラ・ヂ・オリヴェイラ、通称ジョアン・ジルベルトは、1931年ジュアゼイロ生まれの歌手で、ボサノヴァのリズムの創始者と見なされている。
バイーアのセルタォン(平原)にある街、ジュアゼイロで生まれたジョアンは14歳でギターを手にして以来、それを手放すことは決してなかった。40年代にはデューク・エリントンやトミー・ドーセイ、ドリヴァル・カイミやダルヴァ・ダ・オリヴェイラを愛聴していた。
18歳のとき、ラジオの歌手になろうと決意し、サルヴァドールへと移住する。1950年にはリオデジャネイロに移り、ガロートス・ダ・ルアというバンドで歌い、ある程度の成功を収めている。しかし、不規律な行動のためにバンドから解雇され、ギターの新しい表現を創り出すことを夢見つつ、定職のないまま数年を過ごした。その努力は実り、アントニオ・カルロス・ジョビン――クラシック音楽の素養を持ったピアニストで、ジャズなどの当時の北米音楽に影響を受けた作曲家でもあった――や、ミュージシャンである中流階級の大学生たちと知り合いになると、のちにボサノヴァとして知られることになるムーブメントを起こした。
ボサノヴァのリズムは、パーカッションがシンコペーションするサンバのリズムを簡略にかつ洗練したもの(そのテクニックはジョアンが発明したもので、他の楽器の伴奏なしに一本のギターだけで演奏できる)である。そのボーカルのテクニック(同様にボサノヴァの概念から不可分なものである)は、ヴィブラートなしに一定のトーンで、歌うというよりも囁くように、フレーズを本来の拍の前後にずらしながら歌うというものである。
当時新しく生まれたばかりのボサノヴァというスタイルは評判を呼んでいたが、彼の最初の商業的録音は、エリゼッチ・カルドーゾがジョビンとヴィニシウス・ヂ・モライスの曲を録音したレコード『Cancao do Amor Demais』(58)へのギタリストとしての参加だった。
この直後、ジョアンは最初のLP『Chega de Saudade』を録音した。ジョビンが作曲し、エリゼッチのアルバムにも収められていたこのタイトル曲はブラジル中でヒットし、ジョアンのキャリアのスタート地点となっただけでなく、ボサノヴァというムーブメントを決定的に世に知らしめた。このアルバムはジョビンの曲の他にも、古いサンバや30年代のポピュラーソングをボサノヴァの演奏法で解釈し直したものが含まれていた。続いて彼は1960年と61年に出したアルバムでカルロス・リラやホベルト・メネスカルといった新しい世代の歌手・作曲家の曲を取り上げた。
1962年前後、ボサノヴァはハービー・マン、チャーリー・バード、スタン・ゲッツといったアメリカのジャズミュージシャンたちにも取り入れられるようになった。ゲッツの招きに応じて、ジョアンとジョビンはジャズの金字塔となるアルバム『Getz/Gilberto』(64)で共演した。このアルバムによって当時ジョアンの妻だったアストルーヂ・ジルベルト(アストラッド・ジルベルト)は世界的なスターとなり、ジョビンの曲「Garota de Ipanema(英語バージョンではThe Girl from Ipanema)」は世界中でヒットした。
ジョアン・ジルベルトは60年代にはショーを続けていたが、1968年、メキシコに住んでいる際に『Ela e Carioca』を録音するまで沈黙を守った。1973年にリリースされたアルバム『ジョアン・ジルベルト』(ビートルズのホワイトアルバムにちなんでボサノヴァのホワイトアルバムとも呼ばれている)は、神秘的とさえ言える雰囲気を持っており、十年来保たれていた彼のスタイルの初めての変化を示した。1976年には再びスタン・ゲッツが、ま1965年に彼の二番目の妻となったミウーシャが新たに参加したアルバム『The Best of Two Worlds』がリリースされた。ジョビンに近いサウンドを追求したドイツ出身のアレンジャー、クラウス・オゲルマンのアレンジが含まれている1977年のアルバム『Amoroso』では、古いサンバや40年代のアメリカのスタンダードナンバーが取り上げられた。
81年にはトロピカリアとして知られているムーブメントを60年代に起こしたカエターノ・ヴェローゾ、ジルベルト・ジル、マリア・ベターニアとアルバム『Brasil』を共作した。91年にリリースしたアルバム『Joao』にはジョビンの曲は一曲も含まれず、カエターノやコール・ポーター、スペイン語曲が吹き込まれた。「Chega de Saudade」や「Desafinado」といったボサノヴァのクラシックへの回帰が見られた青春時代へのオマージュとも言えるアルバム『Joao Voz e Violao』(00)は、カエターノがプロデュースをした。これらのスタジオ録音のあいだに、『Joao Gilberto Prado Pereira de Oliveira』(80)、『Live in Montreux』(86)、『Live at Umbria Jazz』(96)などのライブアルバムをリリースしている。
その人柄については長いあいだ、エキセントリックで内向的で完璧主義者であるとの評判がある。きわめて稀だが依然としてライブを行っており、近年はとりわけ、日本で03年に公演を行ったときに静かに演奏に耳を傾ける日本の聴衆を気に入ったと言われ、04年、06年と来日を繰り返している。東京でのライブ録音『Joao Gilberto in Tokyo』(04)はボサノヴァ美学の円熟の極致を示しており、広く高い評価を得ている。
♪代表曲
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SOLTA O FRANGO
SOLTA O FRANGO
SOLTA O FRANGO
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GASOLINA
GASOLINA
GASOLINA
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QUERO TE AMAR
QUERO TE AMAR
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