「ゴンザギーニャ
〜 MPBの孤高の騎士」
ブラジル人にとっていまも忘れられないアーティストの一人がゴンザギーニャ。彼は60年代の独裁政権から80年代の政治的解放までのブラジル社会を歌い続けた。父である"バイアォンの王様"ルイス・ゴンザーガの思想を受け継ぎ、社会的に恵まれない人々、弱者の心境を自分のテーマとした。
1945年リオ・デ・ジャネイロに生れる。ツアー活動で忙しい父に代わって、リオで名の知れたサンビスタ、エンヒキ・シャビエルに預けられる。サンバの中で育ち幼少のころから楽器を覚え、14歳のころには作曲していたという。子供のころの貧しい環境が彼の世界観を形作ったのは言うまでもない。後に、彼はこう述べている「楽しいときばかりでなく、悲しいときも人は歌を求める」。
60年代なかばの大学生活中にイヴァン・リンスやアウジール・ブランキなどと知り合う。68年から本格的な音楽活動を始め、貧しい人々の日常を歌い独裁政権を真っ向から批判した。そんな歌のひとつ「Comportamento Geral」が73年にヒットするが、同時に政権の弾圧の的にされてしまう。
だがゴンザギーニャは弾圧に屈することなく同年のファースト・アルバム『Luiz Gonzaga Jr』を皮切りに年々アルバムをリリースしていく。76年のアルバム『Comecaria Tudo Outra Vez』ではタイトル曲やEspere por Mim Morena」などがヒットし、彼の音楽の真骨頂である微細な感情表現が認められるようになる。
そして77年にはマリア・ベターニアに書いた曲「
Explode Coracao
Explode Coracao
Explode Coracao
」が大ヒットし作曲家ゴンザギーニャは不動の地位を得る。それからも「Diga la Coracao」、「Grito de Alerta」、「Sangrando」、「De Volta ao Comeco」、「Eu Apenas Queria que Voce Soubesse」、「
O Que E, O Que E
O Que E, O Que E
O Que E, O Que E
」、「Um Homem Tambem Chora」、「
E
E
E
」などの名曲を世に送り出していき、MPBの多くの歌手たちにもカバーされる。生前のベスト・アルバム『Geral』にはこれらの一部が収録されている。
1991年に交通事故で死去、父ルイス・ゴンザーガの死から2年後の出来事である。父と子の共演は81年に二人で行ったツアーのライブ盤『A Vida do Viajante』(81)に収録されており、演奏中に聴ける父子のやりとりが今となっては感動的だ。
ゴンザギーニャの死後もライブ盤やベスト盤が数々リリースされている。
一つの時代を力強く生き抜いた"孤高の騎士"ゴンザーギーニャの歌には聴く人の心を無条件で包み込んでしまう優しさがある。
♪代表曲
♪
E VAMOS A LUTA
E VAMOS A LUTA
E VAMOS A LUTA
♪
O QUE E O QUE E
O QUE E O QUE E
O QUE E O QUE E
♪
E
E
E
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