「カシア・エレール
〜 90年代を席巻した幻のスター」
90年代に突如現われて強烈な輝きを放ち、あっという間に去ってしまったカシア・エレール。彼女の圧倒的な声量、あらゆる音楽スタイルに挑戦する度胸、スラング混じりの歯に衣を着せない発言などで常にその存在感をアピールし、本物のアーティストとして人々の愛憎の的であり続けた。
1962年にリオに生まれたカシアは、軍人の父親の仕事の関係で国内を転々とした。14歳からギターでビートルズを弾き始め、18歳の頃に住み始めた首都ブラジリアで音楽活動に力を入れるようになる。その当時からカシアはサンバやフォホーのグループに参加したり、賛美歌隊に入ったり、オペラ歌手のレッスンを受けたり、夜はライブハウスでリズム&ブルースを歌ったりと、マルチな才能を発揮していたと言われる。
89年、27歳でサンパウロへ行き、レジアォン・ウルバナの「
Por Enquanto
Por Enquanto
Por Enquanto」をデモ・テープに録音。これがレコード会社に認められ、翌年、1stアルバム『Cassia Eller』のリリースにこぎついた。92年の2ndアルバム『O Marginal』では、マリーザ・モンチ、カルリーニョス・ブラウン、ナンド・ヘイス共作の「ECT」、ジミ・ヘンドリックスの「Hear My Train Coming」、イタマール・アスンサォンの「Sonhei Que Viajava Com Voce」のカバーなどが反響を呼んだ。
94年に3rdアルバム『Cassia Eller』を発表。この作品によりカシアの名が広く認知されることとなる。ここでは故カズーザ&フレジャーのバラォン・ヴェルメーリョ コンビによる大ヒット曲「
Malandragem
Malandragem
Malandragem
」やレジアォン・ウルバナのリーダー、ヘナート・フッソが生前、彼女のために作曲した「1゜de Julho」などがヒットしている。
その後も数々のヒット曲を放つ中、98年、元チタンスのナンド・ヘイスのプロデュースを受け、アルバム『Com Voce...Meu Mundo Ficaria Completo』をリリースし、心機一転、より洗練されたサウンドを披露。ナンド・ヘイスの「O Segundo Sol」、「Maluca」、カエターノ・ヴェローゾの「Gatas Extraordinarias」などを優しく歌う姿に人々は新しいカシアを発見した。
また、この頃のカシアは、ヴァギネル・チーゾ、アルシオーニ、ヒタ・リー、サンドラ・ヂ・サー、ジャヴァンほか、多くのアーティストのアルバムにも精力的に参加している。
2001年には、それまでのレパートリーの総集編としてアンプラグド・ライブ盤『MTV Acustico』をリリース。ここでは往年のヒットに加え「Va Morar Com o Diabo」、ジルベルト・ジルの「Queremos Saber」、シコ・ブアルキの「Partido Alto」、ムタンチスの「Top Top」といった多岐に渡っての選曲が冴えた。このアルバムはミリオン・セラーとなり、今も売れ続けている。
順風満帆に見えたカシアであったが、2001年の年末ライブの準備中に突如起こした心臓発作で逝去。死因は仕事による過度の疲労とドラッグの多量摂取であったとされている。音速で生きた人生の終着点だった。
カシア亡き後、2002年には92年に録音したブルースのアルバム『Victor Biglione e Cassia Eller in Blues』、他アーティストのアルバムへの参加曲集『Cassia Eller Participacao Especial』、ナンド・ヘイスが選曲・プロデュースした未発表音源集『Dez de Dezembro』など、数々のアルバムが発表され続けている。03年にはMTVが彼女の特番など番組出演映像を集めたDVD『Album MTV Cassia Eller』をリリースした。
カシアがカズーザやヘナート・フッソといった薄命の才人の曲を演じたのも今となっては運命の因果だとされ、ブラジルの音楽ファンの間では「カシア、カズーザ、ヘナート・フッソの三人はきっと天国で超ヒップなパーティーを開いているだろう」などと言われることもある。
彼女の残した音楽遺産は新しい世代に確実に受け継がれるだろう。
♪代表曲
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MALANDRAGEM
MALANDRAGEM
MALANDRAGEM
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POR ENQUANTO
POR ENQUANTO
POR ENQUANTO
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